沖縄ドリームプロジェクト始動!
「うちなーんちゅの夢を集めた本をつくりたい!」この本の企画を考え始めたとき、僕の中にはいろいろな想いがあった。沖縄が本土復帰50年を迎える年だから、沖縄の50年先を考えるきっかけをつくりたい。沖縄の魅力を県内県外の人にもっと知ってもらいたい。将来について悩む学生が自由に夢を描けるようにお手伝いしたい。特に、沖縄県内の中学生たちに本を届けたいと思った。沖縄を観光で盛り上げようと、いくつもの離島を訪ね歩く中、高校のない離島の子どもたちにとって「15の春」が特別なことを知った。高校進学のため15歳で島を出て、そのまま島外で働く子もいる。将来について具体的なイメージがないまま、故郷を離れる子もきっと多いはずだ。どうしたら旅立つ前の子どもたちが、自分の将来や自分が生まれた場所について考えることができるだろう。僕は考えあぐねた。
ヒントとなったのは、『WE HAVE A DREAM 201ヵ国202人の夢×SDGs』という本だった。この本を出版したいろは出版とは縁があった。いろは出版が15年以上前に出版した本『1歳から100歳の夢』で、28歳の僕が夢を語ったのである。舞台を日本から世界へと移した本『WE HAVE A DREAM』では、若者が自分たちの国を想い、夢を語っていた。タイトルには、平和な一つの世界に向けて、みんなで夢を描こうという想いが込められている。それを見て「これだ!」と思った。
いろは出版社の社長であり、かつて夢を語り合った友人のきむに連絡して、本をつくりたいという熱い想いをぶつけた。本をつくった経験なんてなかったけれど、あのとき、僕を突き動かしていたのは、移住者である僕を受け入れてくれた沖縄への感謝だったと思う。僕は兵庫県で生まれ、阪神・淡路大震災を経験した。僕の家は崩れ、僕は生き埋めになった。九死に一生を得た僕は、「自分の未来」を意識するようになり、たどりついたのが沖縄だった。移住したのは21歳の夏。まっすぐな道、遠く澄んだ海、最高の仲間…。それからずっと僕は沖縄に魅了され続けている。日本中、世界中を旅したが、帰りたいと思うのはやっぱり沖縄だった。自分の理想を追い続ける場所は沖縄しかない。沖縄から地球と人々を豊かにすることをしたいと、情熱を傾けてきた。
「圭一郎さんはもう、うちなーんちゅだね。」数年前、沖縄のとある地域の活性化について熱く語っていたら仕事仲間からそう言われた。「うちなーんちゅ」という言葉は、本来、「沖縄出身者」と「ないちゃー(内地出身者)」を区別するときに使われることが多い。自分も「うちなーんちゅ」に入れてもらえたことが、本当にうれしかった。この本にも沖縄出身者だけでなく、内地からやって来た人や、沖縄から海外へ移住した人などが登場する。みんな沖縄への愛は誰にも負けない「うちなーんちゅ」だ。この本の企画を説明すると、どんなにいそがしい方でも「沖縄のためになるなら……」と、貴重な休日に原稿を書き、撮影に協力してくれた。僕の頭の中で始まった「沖縄ドリームプロジェクト」が、たくさんの方々の協力を得て、どんどん広がっていくのを感じた。
沖縄で暮らすようになって20年以上。観光を通じて沖縄の魅力を発信してきた僕は、この場所の魅力はほぼ知り尽くしているつもりだった。しかし、今回、本の制作を進める中で、一人一人のうちーなんちゅの夢を知り、沖縄の魅力と可能性をよりいっそう感じた。美しい海はもちろん、琉球王国の時代にさかのぼる歴史、そこから生まれた固有の文化があり、沖縄の心と言える「ちむぐくる」がみんなの中にある。すべて沖縄の財産であり、日本そして世界の未来にとってもかけがえのないものと言えるだろう。平和を願う沖縄の心が広がれば、世界はもっとより良いものとなるはずだ。沖縄だからできることがあるし、沖縄ならではの方法で世界を変えていける。
自分がいる場所で夢なんて描けない。そう思っている人もいるかもしれない。でも、未来を変えるのは自分次第であると、この本を読んで少しでも感じてもらえたらうれしい。「沖縄ドリームプロジェクト」は本が完成して終わりじゃない。この本を手に取ったみんなにも、ぜひ一緒に夢を描いて欲しい。仲間と共に沖縄から世界を盛り上げていく。それが僕の夢だ。
沖縄ドリームプロジェクト
中村 圭一郎